Saturday, February 03, 2007

打破神話

夜來無眠,書寫(翻譯)以驅走思緒。

(原文)

知には2種類あると考えます。一つは、人々に答えと確信を与え、敵を指し示し、特定の方向に導く神話をつくる知。そしてもうひとつは、問を発し、立ち停まりながら対話をはかり、神話を壊す知。……私は、神話を壊す知を選びたいと思います。そして壊す対象は、何よりもまず自分自身の神話、より正確と言えば自分という媒体を通して現れたこの現代社会の神話です。

まず自分自身を打ち壊され、迷い、考え続けるその過程を示すことで、世界へ開かれる可能性をみせること。それが、幾多の神話が希望と悲劇を撒き散らして滅んでいった近現代の苦しい経験を受け継ぎながら、なお知を行使しようとする者のモラルの一つのあり方だと私は思うのです。

(不大好的翻譯)

我以爲知識有兩種。
一種是使人確信,指示誰是敵人,
並把人們導向特定方向,創造神話的知識;
還有一種,誘人發問,並令我們稍停下來,
帶出對話,破壞神話的知識。
......
我呢,大概會選擇能破壞神話的知識。

而最先要破壞的神話,大概是“自己”的神話。
或者更正確的說,是通過“自己”這個媒體而表現出來的社會的神話。
首先“自己”被打碎,躊躇,不斷思考,這過程就能開啓世界可能性。
近現代社會受盡了無數由神話所散布與毀滅的希望與悲劇,
要是我們大概繼承了這些經驗,並意欲行駛知識,
這大概是其中一種可能的倫理的表現了。

原文出處:

小熊英二

1996「神話をこわす知--歴史研究のモラルとは?」、【知のモラル】より、p85

1996「打破神話的知識--歷史研究的倫理」【知識的倫理】Page 85

1 comment:

希布 said...

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